2009年06月29日

蒸す(むす)とは

蒸す(むす)とは、水蒸気で食品を加熱する調理法である。調理の際、栄養を失わず、形も崩さないため素材を活かすことのできる料理である。その一方で、調理途中に味付けができないため、あらかじめ食材に下味をつけておく必要がある。

蒸すときは蒸し器の温度が十分上がリ、蒸気がしっかり立ってから入れるとよい。鶏肉や魚介類など淡白な味わいのものが向く。
蒸す際には、一般に水を沸騰させた鍋の上に加熱したい食材を入れた蒸籠(せいろ)を置く。水蒸気を絶えず充満させるため、水は絶えず沸騰させ、蒸籠には蓋をしたままにしておく。
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一方、電子レンジでも蒸し器として利用できる容器がみられるほか、スチームオーブンなど蒸す機能が付与された製品が見られる。

蒸し調理が、茹でる場合のように湯に栄養素が溶け出さないこと、または炒める場合のように油を必要としないことなどから、温野菜などの栄養価を損ねないなどヘルシー志向もみられ、中華まんやシュウマイの蒸しだけでなく蒸し加熱による温野菜調理を好む者もいる。

蒸気を用いて加熱する調理法は別の調理法の副次的な方法としてとられることが多い。食材の中心にまで加熱することを主な目的としている。

蒸し焼き - 焼く過程において、蓋などをして焼いている食材に元々含まれていた水分が蒸発した水蒸気で加熱する。肉や魚を炒める料理や鉄板焼きなどで多く使われる。
蒸らす - 米を炊く際の最後の工程にとられる調理法で、水蒸気の他、食材に残った余熱により全体に熱を伝える。

2009年06月10日

モノアミン酸化酵素阻害薬

モノアミン酸化酵素阻害薬(-さんかこうそそがいやく)は抗パーキンソン薬の分類の1つで、モノアミン酸化酵素(MAO)の働きを阻害することによって、脳内のドーパミンなどの物質を増やす作用をする薬剤の総称。MAO阻害剤(MAOI)と呼ばれる。昔はうつ病の治療薬として使われていたが、その激しい副作用と扱いの難しさから、現在ではパーキンソン病の治療にのみ使われているが、アメリカ合衆国などでは現在もうつ病の治療薬として認可されており使用されることもある。
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脳内のモノアミン酸化酵素の働きを阻害する。(結果的に脳内のモノアミン神経伝達物質の量を増やす)本来、脳内のモノアミン酸化酵素はドーパミンやセロトニンを分解するが、その働きを強力に阻害することによって、結果的に脳内にドーパミンなどの物質が蓄積され、濃度があがる。これにより、パーキンソン病の症状や抑うつ状態が改善されるとされる。 ただし、この薬の作用は非可逆的であるので、使用には注意を要する。

近年、改良品としてRIMA(例:オーロリックス(欧州)、マネリックス(カナダ))という、可逆的MAO-A阻害剤が開発された。 これらの治験が終了し認可されれば副作用の少ない新しい、難治性のパーキンソン病やうつ病の治療薬としての期待が見込まれる。

代表的なMAOIとして、セレギリンはMAO-Bを選択的に阻害し、RIMAはMAO-Aを阻害する。 RIMAを服用する場合、セレギリンとの併用は絶対にしてはいけない。

副作用 [編集]
従来のMAOIでは、MAO-Aの受容体が阻害されることで、チラミンを摂取したとき、致命的な高血圧が生じたり、肝障害があらわれていた。RIMAでは副作用が緩和されているものの依然としてチラミンの大量摂取には気をつけねばならない。

主にMAO-Aの働きが阻害されると、不安、イライラ、視覚障害、知覚障害、胃腸不調などの症状があらわれる。 またMAO-Bの働きが阻害されるとジスキネジア等の症状があらわれやすくなる可能性が高くなる。

用法 [編集]
通常はパーキンソン病の治療過程において、L-ドパ製剤などがあまり効かず、良い効果が得られない場合に追加して使用する。国内で使用するものには、塩酸セレギリン(選択的MAO-B阻害剤)がある。

2009年06月07日

PASGTベストなどケブラー製のボディーアーマーが主流

1980年代になるとPASGTベストなどケブラー製のボディーアーマーが主流となったが、ケブラー製のボディーアーマーは拳銃弾や榴弾砲の破片に対して有効な反面、爆発で発生した大型の破片や小銃弾に対しては完全に無力であった。

しかし、1991年にアメリカ軍の特殊部隊で採用されたレンジャーボディアーマーはセラミックプレートを前、後部に挿入することで、それまで採用されていたケブラー製のPASGTベストでは不可能だった小銃弾の阻止を可能とした(ベトナム戦争中すでにヘリコプターの搭乗員用に小銃弾阻止可能なセラミックプレートが採用されていたが、現場では「チキンプレート(臆病者のプレート)」と呼ばれ、外してしまう者が多かった)。
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その後、PASGTの後継としてインターセプターボディアーマーがアメリカ陸軍と海兵隊で採用され、一般の兵士にも小銃弾を阻止できるボディアーマーが広く普及することになった。インターセプターボディアーマーは首、肩、股間にもケブラー製のアーマーが装備されPASGTと比べて大幅に防護範囲が拡大され、レンジャーボディアーマーで不評だった重量も大幅に軽量化されていた。

このように90年代から大幅に能力が向上した軍用ボディーアーマーであったがアメリカ同時多発テロ事件を契機としたアフガニスタン、イラクでの対テロ戦争では接近戦の増加や強力な爆弾による待ち伏せ攻撃(IED)が多発し、ボディアーマーの更なる改善が求められた結果、両側面部にもセラミックプレートを追加したIOTVとMTVが採用された。これらの選定時にはまったく新しい概念で作られたドラゴンスキンと呼ばれるボディアーマーも競争相手となったがこちらは採用されることは無かった。

陸上自衛隊でも自衛隊イラク派遣時に、当時採用されていた戦闘防弾チョッキでは危険と判断し防弾チョッキ2型を急遽採用して派遣部隊に装備した。

拳銃などの銃砲器で発射された弾丸から身体を

拳銃などの銃砲器で発射された弾丸から身体を防護し、被害を低減するために着用する。日本では銃刀法による規制が厳しく、銃器による犯罪が少ないことから殆ど広まっていない。自衛隊や機動隊が主に着用するほか、警察官や海上保安官が必要に応じて着用する。あとは現金輸送車の警備員が着用(軽い、防刃機能のみの場合も多い)する程度である。

軍用として防弾チョッキは長い歴史を持つが、朝鮮戦争から80年代までの軍用ボディアーマーは小銃弾ではなく拳銃弾や砲弾の破片を防護する目的で使用されていた。これは当時、戦場で死傷する原因の大半は榴弾などの破片によるものであったことや小銃弾を阻止できる軽量な素材が存在しなかったためである。しかし、近年は近距離での戦闘が増加し、小銃弾を阻止できる軽量なセラミックプレートが登場したことで小銃弾阻止が可能なボディーアーマーが一般的になりつつある。
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世界で最初の防弾チョッキは中世の日本において絹で作られていたものだと言われている[1] 中世末期にマスケット銃が登場すると鎧が打ち抜かれる事例が多発するようになった。鎧職人側も対抗するために前面を厚く、背面を薄くしたり、積層装甲などの技術を用いて対抗しようとした。銃が大量に配備されるようになるとマスケット銃の弾が貫通しないことが重要な問題になり、出来上がった鎧を銃で撃って貫通しないことを証明するようになった。しかし、実際に打ち抜かれないことは希であり、そのほとんどは火薬を極端に減らした弾を使うか、職人が弾痕に見せかけたへこみを工具で付けていたのが実情であった。

2009年04月24日

ホメオパシー

ホメオパシー(homeopathy)は、ホリスティック医療に分類される、代替医療の一種である。「ある症状を持つ患者に、もし健康な人間に与えたら、その症状と似た症状を起こす物質をきわめて薄くしてわずかに与える」ことによって、症状を軽減したり治したりしようとする療法のことである。たとえば、解熱を促そうとする時には、健康な人間に与えたら体温を上げるような物質を含む物質を少量患者に与える。このことによって、極めて短時間発熱が促進されるが、すぐに解熱に向かうとされている。一方、科学的根拠の欠落を指摘する識者も多い

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ドイツ人医師ザームエル・(クリスティアン・フリードリヒ)・ハーネマン(Samuel Christian Friedrich Hahnemann, 1755年 - 1843年)によって始められた。ハーネマンの主著『オルガノン』(1810年刊)によると、類似したものは類似したものを治すという類似の法則があり、ある物質を健康な人に投与した時に起こる症状を治す薬としてその物質が有効であると主張。その物質が限りなく薄く希釈される(ハーネマンの表現を借りれば「物質的でなくなる」)ほど治癒能力を得ることが出来ると考えた。

ハーネマンの死後、ホメオパシーの流れは分裂した。「低効能派」は希釈度合を濃くして患者に投薬し薬効を期待する一方で、「原理派」はあくまでハーネマンの主張通りの薬効を主張している。現在、ホメオパシーには大別してクラシカルとプラクティカルの2派があり、前者はハーネマンの理論を重視し、その時々の症状と患者個人の性質に重きを置き1種類のレメディーを処方するのに対し、後者は、ハーネマンの理論を見直す動きから生まれた、多種投与が特徴である。

2009年04月22日

ゴシック建築

ゴシック建築(Gothic Architecture)は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式。最も初期の建築は、パリ近くのサン=ドニ(聖ドニ)大修道院教会堂(Basilique de Saint-Denis)の一部に現存する。イギリス、北部および中部イタリア、ドイツのライン川流域にわたる広範囲に伝播した。

「ゴシック」という呼称は、もともと蔑称である。15世紀から16世紀にかけて、アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、ルネサンス前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する。(ゴート族の建築様式というわけではない)

ルネサンス以降、ゴシック建築は顧みられなくなっていたが(この時期をゴシック・サヴァイヴァルと呼ぶ)、その伝統は生き続け、18世紀になると、主として構造力学的観点から、合理的な構造であるとする再評価が始まった。18世紀から19世紀のゴシック・リヴァイヴァルの際には、ゲーテ、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、フリードリヒ・シュレーゲルらによって、内部空間はヨーロッパの黒い森のイメージに例えられて賞賛され、ドイツ、フランス、イギリスでそれぞれが自らの民族的様式とする主張が挙がるなどした。

キッド マロン マーブル モーダル メープル ピュア スポア 九月の砂 カトブレ ほわい ワイヤー シャム モード イグサ チカツ レーザー ルイス WEB大葉 ブリッジ ルーマニア ネチケット アイド タランチ キャラメル オフェンス ハラタ ヒット メーザー イヤリング ルバッ なかにい 片道切符 いろんな いばば ねっび ローブ アスク リカレ フライト グアバ ナチガイド トライア ブイヨン シャンビ ゼムクリ スケルツォ ナビハズ ビビッド むぎこうじ マッシュル

ゴシック建築は、歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代を指し、フランス王国からブリテン島、スカンディナヴィア半島、ネーデルランド、神聖ローマ帝国、イベリア半島、イタリア半島、バルカン半島西部沿岸部に伝わった建築様式をいう。しかし、これら歴史的・地理的条件が必ずしも相互に対応しないという点や、建築の形態的・技術的要因、図像などの美術的要因の定義づけが難しいという点で、他の建築様式に比べるとかなり不明瞭な枠組みであると言わざるを得ない。特に後期ゴシックは、地方様式とも絡む複雑な現象で、装飾や空間の構成を包括的に述べることはたいへん難しい。

ゴシック建築は、北フランス一帯において着実に発展していた後期ロマネスク建築のいくつかの要素を受け継ぎ、サン=ドニ修道院付属聖堂において一つの体系の中に組み込まれて誕生した。12世紀中葉から、サンスやラン、パリ、そしてシャルトル、ランス、アミアンでは、これに倣って大規模かつ壮麗な聖堂が建てられることになった。当然、西ヨーロッパでは、このほかにもたくさんの建築物が建設されていたが、イル=ド=フランス地方をはじめとするフランス王国の中心地においてのみ、初期から盛期にいたるゴシック建築の首尾一貫した発展の状況を見ることができる。

ゴシック建築が伝播した他の諸国の政治的・経済的事情は多様で、発達や伝播の過程は複雑な様相を呈し、後期になるとこれが顕著に現れる。しかし、それでもゴシック建築が一定の建築的構成をふまえつつ流布したのは、国々を跨いで独自の組織網を構築していた修道院の活動が大きかった。ロマネスク建築と同様に、ゴシック建築においてもベネディクト会やシトー会の影響は大きく、13世紀以降はドミニコ会、フランシスコ会などが、ゴシック建築の伝播に寄与することになった。

ゴシック建築は、尖ったアーチ(尖頭アーチ)、飛び控え壁(フライング・バットレス)、リブ・ヴォールトなどの工学的要素がよく知られており、これらは19世紀のゴシック・リヴァイヴァルにおいて過大に評価されたため、あたかもそのような建築の技術的特徴のみがゴシック建築を定義づけると考えられがちである。しかし、ゴシック建築の本質は、これらのモティーフを含めた全体の美的効果のほうが重要で、ロマネスク建築が部分と部分の組み合わせで構成され、各部がはっきりと分されているのに対し、ゴシック建築では全体が一定のリズムで秩序づけられている。

2009年04月05日

ミサはカトリック教会

ミサはカトリック教会でおこなわれる聖体祭儀のこと。司祭が執り行い、信徒が参加するカトリック教会のもっとも重要な典礼儀式である。古代以来1960年代までラテン典礼におけるミサはすべてラテン語でおこなわれていたが、第2バチカン公会議以降の典礼改革により各国語でおこなわれることになった。「ミサ」という名称は式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est」(ミサを終わります。行きましょう。)というフレーズの中の語に由来している。

様式は世界共通だが、カトリック教会でも東方典礼カトリック教会においては、ビザンチン式などラテン典礼と異なるミサが行われることがあり、その場合の詳細な式次第などは後述と異なる場合がある。

日本ではキリスト教の公祈祷(礼拝)一般を「ミサ」と呼ぶこともあるが、「ミサ」とはカトリック教会の典礼儀式を指す語であり、キリスト教の礼拝一般をまとめて「ミサ」と呼ぶのはふさわしくない。

キリスト教はもともとユダヤ教の中から生まれたため、聖体祭儀(ミサ)もユダヤ教のシナゴーグでおこなわれていた礼拝の形式(聖書の朗読と説教、祈り)に、キリスト教徒がイエス・キリストの最後の晩餐を記念しておこなっていた聖体の典礼と会食が組み合わされて出来たものである。

聖体祭儀には地方・時代においていくつかの形式が生まれたが(ミラノ典礼、アンティオキア典礼など)、通常ミサというときはローマ典礼をあらわす。そもそもミサという語自体がローマ典礼のラテン語典礼文に由来する。ローマ典礼はバチカンの布教省の配下にある司教区で(つまりは世界中のほとんどで)行われている。日本もローマ典礼である。

ミサは基本的に聖堂や教会堂においておこなわれるが、特別な場合は屋外や一般の室内でおこなわれることもある。カトリックでは司祭は毎日必ずミサを捧げなければならないため、ミサは毎日執り行われている。ミサを執行することを「ミサをたてる」ともいう。司祭が一人でミサをたてることもあるが、通常はミサに参加する信徒(会衆)と共におこなわれる。信徒は特に毎日曜日(主日という)といくつかの日曜日以外の祭日のミサにあずかることがのぞましいとされている。

ミサにはすべてのミサに共通の部分と、そのミサの目的や日時によって変わる部分がある。前者を通常文、後者を固有文という。

かつて20世紀半ばまではミサのおこわなれる時間がきびしく制限されており、クリスマスと復活祭の前夜を除いて午後一時から夜明けの一時間前以前までおこなうことができなかった。今ではこの制限は廃止されている。また、現代では土曜日の夕方以降におこなわれるミサも日曜日のミサとして扱うことができるため、日曜日にミサに参加できない信徒は、かわりに土曜日の夜のミサに参加することがある。信徒の便宜をはかるため、多くの教会では土曜日の夜にもミサがおこなわれている。

また以前はミサの前は日付が変わってからミサまでの禁食が義務付けられていたが、現在ではミサの1時間前からの禁食に緩和されている。ただし水・薬は禁食の対象ではない。

カトリック教会の典礼は1960年代の第2バチカン公会議を反映して改革され、典礼言語としてラテン語以外にそれぞれの国や地域の言語を使うことができるようになった。日本でも、昭和30年代まで、カトリック教会の礼拝はラテン語で行われていたのである。なお、この改革以前の、トリエント・ミサとよばれる礼拝形式から、英国教会の聖餐式やルーテル教会の礼拝が生まれた。儀式を外面から眺める限り、これらの教会の礼拝はよく似ている。

かつてミサは司祭一人であげ、信徒に背を向ける形で祭壇に向かっておこなわれていた(背面式)が、第2バチカン公会議以降の改革でミサ本来の意味が再検討され、数人の司祭によるミサの挙行(共同司式)もみとめられ、式自体も司祭が信徒に向かう形(対面式)でおこなわれるようになった。

ミサの式次第 [編集]
以下、ローマ典礼における現行のミサ式次第(ノヴス・オルド)を解説する。

開祭の儀 [編集]
司祭が入堂し、祭壇についてミサを開始する。会衆がいる場合、ミサの初めには「入祭の歌」として聖歌が歌われることが多い。入祭の歌は義務ではないが、歌わない場合は入祭唱を唱えなければならない。はじめに司祭と信徒の間で挨拶がかわされ、初めの祈りが唱えられる。次に悔い改めの祈り、「主よ、あわれみたまえ」(キリエ)が唱えられ、待降節および四旬節以外の主日と祭日には「栄光唱」(グローリア)が唱えられる。

ことばの典礼 [編集]
次に「ことばの典礼」といわれる部分に入る。ここでは平日には二つ、主日と祝日には三つの聖書からの部分が朗読される。それらの朗読は第一朗読、第二朗読(主日と祝日のみ)、福音朗読といわれる。

第一朗読では通常、旧約聖書が読まれるが、復活節に限って『使徒言行録』か『ヨハネの黙示録』が朗読される。第二朗読は使徒の書簡おもにパウロの手紙が朗読される。第一朗読の後には、答唱詩編という先唱者と会衆による章句の繰り返しと詩編の朗読がおこなわれるが、通常のミサでは歌われることが多い。アレルヤ唱(四旬節は詠唱)のあとでおこなわれる福音朗読はその名前のとおり、福音書が朗読される。第一朗読、第二朗読は信徒が朗読することが多いが、福音朗読は司祭もしくは助祭がおこなうことになっている。福音朗読時、会衆は起立することになっている。現代の日本のほとんどのカトリック教会では『新共同訳聖書』が用いられている。

福音朗読に続いて、司祭(あるいは助祭)による説教がおこなわれる。説教では通常、その日の福音や聖書朗読の解説がされることが多い。主日と祭日には説教の後で「信仰宣言」がおこなわれる。 ミサの国語化以来、日本の教会は洗礼式に用いられる略式の信仰宣言を用いるか、ごくまれに文語訳のニケア・コンスタンチノープル信条(Credo)を用いてきたが、2004年に口語訳のニケア・コンスタンチノープル信条が司教団より公式に発表された。従来の使徒信条を唱えることもできるが、略式の信仰宣言は廃止された。

信仰宣言につづき、そのときに応じて意向で唱える共同祈願という祈りが唱えられる。

ダイビ ワサビン ナンピン ライトウイ ブーケ ラケット スーパ スキッダ プラネット 組曲 ナイロン リテラ オーベル シェアリ 白鳳支援 ムート ふるさと ジャパニ キチネッウ ヌビア てかばん クロア パート ラザーニャ ファイター ナポレオン ファタ ウコン パワー ブース ロビューム クーペ ラゴス ユグノー チラム トラサ あわせばお アカ パンフレット スパン バドミン ミレー フルー ミリーカー スカイプ ファン トリプ ハジ カソード シノニム

2009年03月21日

番号付与以前

1872年の京浜間鉄道開業式で明治天皇の御乗用となったのは、鉄道開業時にイギリスから輸入された上等車10両のうちのサロン車と称される「形式A」と推定されている。この客車は、全長25ft、車体長22ft5in、自重約5tで、車内は3室に分かれている。

1878年(明治11年)6月の分類の中には、「御料車2両」と記されており、神戸の「形式AJ」の他に「形式D」なる御料車があったことが記録されている。この車の形式図等は現存しておらず、来歴や詳細は明らかでないが、イギリスのメトロポリタン社、あるいはオールドベリー社から輸入されたのではないかと推定されている。
キッズ ダーツ すぎな ゼンス サイド カッド 羊の歩み ジニア テンゴリラ ハミング タイトピ すくなか ゲルマ シガレット オーガィ パーシ ヒトゲ メーション ダーパア シリカセ パワー オーテア ミステリー イアタ バクシーシ ミトラ 日本全 ハンガー グプラン インツ ゼウス ピラティ ビーチ フェース ジョッ コアラー スターチ インキャラ チューニ なんぽろ チラリ レーザー だいだい レンニン リケーション トロー ブリッチ マスアキ テンプツ ステーツ

1880年(明治13年)11月に官営幌内鉄道の手宮?幌内間が全通し、翌1881年(明治14年)8月に明治天皇が北海道へ行幸し、8月30日にお召列車が運転された。この時に御料車となったのは、1880年にアメリカのホリングスワース社で製造された「開拓使号」で、同時に導入された8両中最上級の客車であった。同車は、1961年(昭和36年)に鉄道記念物に指定され、交通博物館に保存された。交通博物館閉館後は、2007年(平成19年)10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で展示されている。


2009年03月06日

主力艦(Capital ship)

主力艦(Capital ship)とは、海軍において重要な役割を果たす戦闘艦を指す概念である。通常は公式に定義された概念ではないが、戦略上の海軍の取り扱いにおいて有益な概念である。各国を比較するに当たり、その詳細に立ち入ることなく比較するためにも用いられる。

19世紀末に全鋼製の軍艦が登場するまでは、イギリス海軍の等級制度に照らし合わせて1等から3等までに相当する艦が戦列艦、つまり主力艦として考えられた。1800年ごろの等級分類は以下のとおりである。

1等艦は、100門以上の砲を持ち、通常3層から4層構造であった。最下層の砲門は喫水線に迫り、海が穏やかでなければ砲の使用は困難であった。
2等艦は、90から98門の砲を有していた。
3等艦は、64から80門の砲を有していた。
4等艦の多くと5等艦はフリゲートである。4等戦列艦はごく少ない。
6等艦、無等級艦の多くはスループである。無等級艦の分類は非常に混乱している。
20世紀、とりわけ第一次世界大戦と第二次世界大戦にあっては、戦艦と巡洋戦艦が主力艦と見なされていた[1]。また、遅くとも1942年の末には、航空母艦もまた主力艦として見なされるようになった。これらは、排水量20,000t近辺かそれ以上の大型艦であり、重巡洋艦はその重要性にもかかわらず主力艦とは見なされなかった。

ドイッチュラント級装甲艦はその例外であり、重巡洋艦とさほどかわらない船体に強力な火力を有しており、イギリスが「ポケット戦艦」としたように概ね主力艦と見なされていた。また、アラスカ級大型巡洋艦は、戦艦あるいは巡洋戦艦として扱われなかったものの巡洋艦としては異例の巨艦であり、主力艦に含めて考えられる場合もある。

冷戦期のキーロフ級ミサイル巡洋艦は、第二次世界大戦当時の主力艦に匹敵する大きさであり、新たな巡洋戦艦として考えられた。

21世紀初頭では、これらのうち、航空母艦が主力艦として存在している。火力は搭載機の数と性能に依存し、艦船自体の銃砲やミサイルによるものではない。アメリカ海軍は100機近い航空機を運用可能な大型航空母艦を複数保有し、他を圧する勢力となっているばかりか、強襲揚陸艦も他国のV/STOL機を運用する軽空母に匹敵するだけの性能を有している。

弾道ミサイル潜水艦は、初期の戦艦に相当する排水量を有する重要性の高い艦であるが、核抑止力の一部を担う艦であって伝統的な主力艦のように制海権を保持すべく運用されることはない、新たな主力艦である。アメリカとイギリスでは、弾道ミサイル潜水艦にかつての戦艦と同様の命名を行っている。

また、単にその海軍の主力となる艦艇という意味で「主力艦」という語が用いられることがある。
ソルジャー ルーツ りゅうき キャリ ニジェール ロック レード ハレルヤ こごた 茶色の小 バックシ タイヤ シホウチ コラン サイレ ジャーキー ハプテン ファースト ハプ くみん ケニア モンバ ギア ルーブル ニサバル 一致団 モザン パゴダ ツーソン カナイマ レツレツ ファイザー レジレソ フリートーク ひらたけ オペラ レソト チェダー レシオ サバト おとぎ ワッペ リップ エピス ハーフメイ モダニ マスツ アデス ディンイン すながわ

軍事要素を含むSFでは、他の海軍用語と同様に大型宇宙船に対してこの語が使用されている。

2009年02月14日

ほしうた

伊豆半島西部の駿河湾に面した「海津市美星町」は、その名の通り美しい星空が観測されることで知られる静かな田舎町。
ズンイン 紅葉遊 ミライン バックラ バンカメ コート トケーオー プチポワ スエード シート バーレル たいはく クール グワナ 江戸一 ひだまり チーク プラトーン ワンウェイ チャンス ナブスター フウトウ バリカ シェイク プロテ プロダク ルイジ ティブ 紫式部 まさかき ハンド はわい ネクタイ シタール ギガビ トラン モニタリ スキニー ネオナチ ポット ソイド スター 美人薄命 ググイウ リアリ サーチイスノ シンハ はさま セッション ナック

この町に暮らす少年「和彦」は幼い頃に肉親を亡くし、自分を長年育ててくれた義理の祖母にも1年前に他界されるという不幸を味わいながらも、義理の妹「ななの」や幼馴染の「結衣」、学園の先輩「翠」らとともに平和な生活を送っていた。

七夕を迎え、学園の夏休みが目前となった7月のある日、和彦の前にイタズラ好きな謎の少女「れんげ」が現れた。さらに都会からはお嬢様の転校生「くらら」がやってきて、和彦の日常は少しずつ変化を見せ始める。

周防 和彦(すおう かずひこ)
この物語の主人公。美星学園の2年2組男子生徒。幼くして天涯孤独の身となり、周防家の養子として育つ。美星町で生まれたわけではないが、既に十数年間暮らしており、町にはそれなりに愛着を感じている。学校以外で勉強することがないため、成績はそれほど良くない。
部屋の中はシンプルであまり物がなく、本棚に飾られた帆船模型が唯一のインテリア。原動機付自転車の免許を持っており、周防家の隣にある黒田旅館に頼まれて隣町までお使いに行くこともある。困ると中指で鼻の下を擦るのが癖。苦手な食べ物はキュウリ。
黒田 結衣(くろだ ゆい)
声:木村あやか
和彦の幼馴染にしてクラスメイトでもある少女。周防家の隣に立つ老舗の温泉旅館「黒田旅館」を経営する夫婦の一人娘。幼い頃は東京に住んでおり、父親が旅館を継ぐことになったため小学生のとき家族3人揃って美星町に引っ越してきた。明るく元気な性格で学校ではムードメーカーのような存在だが、勉強は大の苦手であり特に不得意な科目は英語。将来は婿をとって黒田旅館を継ぎたいと思っているが、旅館の仕事はあまり得意ではない。
好きな食べ物はバナナで常に持ち歩いているほどである。反対に嫌いなのはわさびであり、自分が旅館を継いだときには土地の特産品にもなっているわさび製品を旅館の土産物売り場から無くしたいと思っている。天体観測が趣味であり、自分用の望遠鏡も持っている。カナヅチで泳ぐことは出来ないが海は好き。浴衣を着て行う温泉卓球は大の得意で負けたことがない。「がふっと(行く、働く)」「ズバッと(食べる)」など奇妙な擬音語を使って話すのが癖。
周防 ななの(すおう ななの)
声:民安ともえ
和彦を引き取って育てた義理の祖母「周防ヒナ」の孫娘。和彦より1歳下の義妹であり、美星学園の1年生。彼女もまた幼い頃に両親を亡くしており、ヒナだけが唯一の肉親だった。1年前にヒナが他界してからは和彦と二人で暮らしている。無邪気で子供っぽい性格で自分で作った即興の歌を口ずさんでいることが多い。
料理や掃除など周防家の家事全般を担当している他、家庭菜園で野菜を栽培している。しかしドジでそそっかしく、失敗することも多いため、しゃがみこんでいじけてしまうことも。好きな動物はカメで「カメ次郎」という名のカメを飼っているのに加え、自室にはカメのぬいぐるみが沢山置かれている。好きな食べ物はマンゴー味のメロンパン(普通のメロンパンでは満足できない)。学園にはいつも黒いタイツを履いて登校している。
雨宮 くらら(あまみや くらら)
声:柚木かなめ
和彦のクラスに転校してきた少女。転校以前には一貫教育の女学園に通っていた。日本有数の大企業である「雨宮財閥」の令嬢。優しくおしとやかな性格で常に丁寧語(ですます調)で話す。美星町には子供のころ2週間ほど滞在したことがあり、その時に和彦と出会っている。
勉強が得意な優等生であるが、やや世間知らずな一面もある。珍しいとされるオスの三毛猫を探しており、三毛猫を見つけると近づいて性別を確かめようとする。
ななのが黒のタイツを履いているのに対し、くららは白いタイツを履いて登校している。
他の4人のヒロインとは違い、くららルートでは個別シナリオになってから一度でも選択肢を誤ると、バッドエンドとなってしまう。
木ノ下 翠(きのした みどり)
声:青山ゆかり
美星学園3年生の女生徒で和彦達の先輩に当たる。母親は幼少時に病気で他界し、漁師である父親「鉄平」との二人暮し。数年前に交通事故で左足の膝から下を負傷したため、車椅子に乗って生活している。
とても明るく活発な性格で身体障害者であることを感じさせないほど前向き。スポーツが得意で障害者水泳に取り組んでおり、隣町の沙月町の病院に併設されたプールまでバスに乗って出かけることもある。足が不自由な代わりに握力が強く、リンゴを握りつぶすことも可能。愛用の車椅子には「ハヤテ号」という名を付けており、走行速度の上昇や新型走法の開発に日々精を出している。
山吹 れんげ(やまぶき れんげ)
声:青空かれん
正体不明の謎の少女。美星町の色々なところに時々現れては町の住人達に嘘をついたり、子供じみた悪戯をしている。猫を被るのが得意で外面が良いので、なかなか化けの皮をはぐことが出来ない。学校には通っておらず、岬にある洋館に「武藤カオリ」という名の家政婦と共に暮らしている。
なお、れんげは5人のヒロインの中で最も初めに考案されたキャラクターである。

サブキャラクター
笠井 洋介(かさい ようすけ)
声:皇帝
和彦が美星学園に入ってから知り合った男友達。和彦と結衣とは同じクラス。流行に敏感でありテレビやインターネットで見聞きしたことに影響を受けやすい。可愛い女の子が好きでよくナンパをしているが成功したためしがない。学校の勉強は苦手。
北条 亜里砂(ほうじょう ありさ)
声:三咲里奈
洋介と同じ和彦達のクラスメイトである女生徒。IT産業を母体とする大手企業「北条グループ」の社長の娘。北条グループは近年、美星町の隣にある沙月町でのリゾート事業を拡大しており、老舗旅館の結衣にとっては商売敵のような存在である。そのため、結衣からは一方的にライバル扱いされている。結衣とは違って勉強は得意であり、成績は学年20位以内に入る。
広瀬 小梅(ひろせ こうめ)
声:さくらはづき
くららの世話役を務めるメイドの少女。和彦と街中で初めて出会ったときもメイド服を着ていた。くららの前では控えめでおとなしい理想的な使用人であるが、実は彼女は中学時代不良だったという過去を持っており、和彦に対しては乱暴な言葉を使うなど地が出る。胸のサイズが小さいのが悩み。
黒田 香代(くろだ かよ)
声:飯田空
結衣の母親で黒田旅館の女将。優しく温和な性格だが旅館の仕事に対しては厳しく手を抜くことを許さない。美星町にやってくる以前はごく普通の専業主婦をしていた。夫は旅館の支配人を務める。
周防 ヒナ(すおう ひな)
声:松栄子
ななのの祖母。1年前、和彦が美星学園に入学してまもなくのころ他界してしまう。享年72。生前は黒田旅館で長年仲居頭として働いており、香代が旅館の女将になりたてのころ、右も左もわからない彼女に色々と教えていた。そのため、香代はヒナのことをとても尊敬していた。黒田旅館の隣にある周防家は、もともと旅館の離れとして使われていたものである。なお、ななのの祖父の名は正行(まさゆき)という。
雨宮 環(あまみや たまき)
声:韮井叶
くららの義理の母親。元はくららの父である雨宮財閥社長の秘書だったが、くららの実母・百合香(ゆりか)が他界したため後妻となる。旧姓は須藤(すどう)。仕事の出来るキャリアウーマンだが、くららに対して愛情は持っておらず、母親らしいことをほとんどしていない。エリート志向が強く、低学歴の人間は好きでない。
森下 聖子(もりした せいこ)
声:かわせあゆむ
美星学園で和彦のクラスの担任を務める教師。担当教科は日本史。学内での人気は高く、年齢も20代前半と若いため女生徒たちから恋愛相談を持ちかけられることもある。優しく生徒想いであるが怒らせると非常に怖い。
カメ次郎(かめじろう)
周防家で飼われているカメ。ななのの頭の上に乗っていることが多い。ななのはカメ次郎のことをミドリガメだと思っているが本当はアオウミガメ(絶滅危惧種)である。「ピー」という声で鳴く。「うたシリーズ」の第1作『ゆきうた』に「ウサ太郎」という名のウサギが登場したため、『ウサギとカメ』の童話になぞらえて登場することになった。